2013年07月24日

マレーシアの自動販売機

私が初めてマレーシアに行ったのは高校生の時。修学旅行だった。
ただでさえ楽しい修学旅行。しかも私にとっては初の海外だったということもあり、かなりはしゃいでいた。
とても楽しかったのだが、残念な思い出がある。

それが自動販売機だ。

暑いマレーシア。水分補給は必須である。
その時ものどが渇いたので飲み物を買おうと、道端の自動販売機へ。

あれ、なんか、暗いな…。

全体的に薄汚れていて、電気がついていない。
壊れているようにも見えたが、一応ブーンという電子音はしている。
まぁ、良く分かんないけど海外の自販機って、こんなもんなのかなと思ったオメデタイ私は、割と躊躇うことなくコインを投入。

・・・あれ、反応がない。

JKの私を完全にシカトしてくる自販機。
足りる分入れたつもりだったけど、もしかしたら間違えたのかも。
コインをよく見て再び投入。

・・・いつまで黙ってるつもりですか。

ここまできて、世間知らずだった私もさすがに気付いたよ、壊れてるって。

焦って返却ボタン押したり、ビシバシ叩いたりするも、ウンともスンともスラマッパギーともいいやがらねぇ。

なんだコラ!日本人ナメんじゃねぇぞ!
ファキンジャップくらい分かるよバカヤロウ!バンバン!


と、やっちまいたかったのは山々だったが、女子高生なのでそんなことはしない。
いろんなボタンを少しずつポチポチしてから、とぼとぼ帰った。

もう、あれは誰かの貯金箱だったと思うことにする、うん。
はぁ、海外って、怖いところだなぁ…。
照り付ける太陽の下、汗だくでツインタワーの前の通りを渡りながら、初めて海外に対して小さな敗北感を覚えた私だった。

で、この話をふと思い出してだんなにしたら、
「そうそう、道端のは、ほとんど壊れてるか盗まれてるんだよねー」だと。
私も今なら驚かないけど、当時はけっこう衝撃だったなぁ、なんて会話をした。

そしてだんなも自販機にまつわる思い出話を披露してくれた。

だんなが小学生の頃、よくお父さんと付属中高の校庭に朝のランニングに行っていたそう。
通常は入校の際にちょっとした手続きがあるのだが、顔の広いお父さんは警備員のマレー系の人とも知り合いなので顔パス。

父子2人で、早朝の誰もいない校庭を走り、爽やかな汗を流す。
私も話を聞きながら、なんて微笑ましい光景だろうか、と穏やかな気持ちになっていた。

しかし、そこはマレーシア。
タダでは終わらない。
だんなはこう続けた。

「でさぁ、学校に自販機があったんだけど、それが偽のコインで買えたんだよね〜

おっと、一気にきな臭くなってきたぜ。

だから毎朝、家でアルミホイルのコイン作って行くんだ〜。上手に作ってさ〜

警備員さんも、まさか顔パスで入れる人が、こんなセコいことしてるとは思ってないだろうなぁ。
やってることが偽造テレカよりショボいよ。

で、そうやって買った飲み物を、いつもランニングの後に飲んでいたんだそう。
やってくれるよ、お父ちゃん…。

私の父も不良性の高い人だが、彼の場合は自覚がある。
義父の場合は、真面目でいい人ってところがミソ。
そういう人でも「タダで買えるの?じゃあやっちゃお!」って、フツーにやっちゃうところが決定的な文化の違いだよ。
バレなきゃいいんだよと、あっけらかんとしてる。
こういうところに、やはり善悪のグレーゾーンの広さを感じずにはいられない。
政情、治安、社会の不安定さと、このグレーゾーンの広さは比例している気がする。
まぁ、自分の身を自分で守らなきゃいけないから、当然っちゃあ当然なんだろうけど。
結果、逞しくて真っ直ぐでちょっとズルい人たちになっていくのかもね。
そして私は彼らのそんなところが大好き。で、ちょっと憧れている。

と、私がたかが自販機の話で、1人であれこれ考えているうちに話し終えただんなは「懐かしいなぁ…」としみじみしていた。

あ、ちなみに今の自販機は、ちゃんと偽コインでは買えないようになってる。と思う。
なので良い子のみんなは、くれぐれもアルミホイルで上手に作ってみたりしないようにね!


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posted by しゃちま at 15:40| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | マレーシア見聞録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月15日

馴れ初めの書き方

約10年前の話。

国際結婚の手続きが終わり、入国管理局に持って行くビザの申請書類を準備しているときのこと。
名前や住所はもちろん、家族構成から年収まで詳しく書き込む申請書。
その中にこんな項目があった。

結婚に至る経緯

これってつまり馴れ初めってことよね。

おいおい、飲みの席じゃないんだからそんなことマジに聞くなよ、ははは。
なんて照れてる場合ではない。

これから私は、出会って、告って、付き合って、親に結婚の報告して…という2人の愛の軌跡を、真面目な文章にしないといけないのである。

ちなみにだんなは、物事を伝えることと文章を書くことが極端に苦手なので、私が代筆した。
日本語が不得手なのではなく、どうやらそういう性格のよう。

それにしてもどこまで詳しく書けばいいのか、さじ加減が良く分からない。
たぶん偽装結婚かどうかを審査する材料にしてるんだろうから、日付と事柄の箇条書きでは真実味に欠けてダメな気がする。
ここはやはり熱い思いの丈をぶつけた方がいいんだろうか。
でも気持ちを込めて書いて、入管の人に「こいつどんだけ自分に酔ってんだよ。詳しすぎワロスwww」とかなって内部で回し読みとかされたら死にたい。

いつまでも悩んでいてもしょうがないので書き始めることに。

日付や場所などは、覚えてる範囲でなるべく具体的に。
事柄や心境などは、直接的で感情的な表現を避ける。

この二つを心がけながら、できるだけ淡々と、しかし詳しく書いていく。
結局A4用紙3分の2ほどの量に。

そして試行錯誤の結果書き上がった文章を読み返してみて思ったこと。

あぁ…キスイヤのカップル紹介VTRで流れるナレーションみたいだ…。

読めば読むほど、頭の中であのナレーションの声になっていく。
安い、安いよ…。
まぁ、でも仕方ない。大恋愛でもないし、そもそも私の文章力ではこれが限界だ。

だんなに「これでいいかな」と見せたら、明らかに流し読みってゆーかもう5秒くらいで返されて「いいと思うんなら、いいんじゃない」と言われる。

本当にテキトーである。
マレーシア人のテキトーをナメたらいけないんである。
もう一度言う。
本当にテキトーである。

貴様の書類だよ?って思ったけど、どうせ言っても読まなそうなので、そのままファイルにしまった。

で、私の懸命の努力の賜か、めでたく「日本人の配偶者」ビザが下りた。
ま、よっぽどじゃなきゃ普通は下りる訳で、今思えばあんなに緊張する必要はなかった。
やっぱり私は慎重で真面目な日本人である。

この数年後、私は在日中国大使館領事部に現地職員として雇用され、約3年間勤務することになるのだが、その間数えきれないほどの「馴れ初め」を読むことになる。
自分で申請書を書いた当時は、こんな仕事に就くとは思いもしなかったが、ただ一つ気付いたことは、私の書き方は正しかったということ。
きっと入管の人も、良く書けていると思ってくれていたに違いない←

そしてその経験を活かして、「馴れ初め」の書き方に悩む中国人に、的確なアドバイスをすることができた。
まさかあんな恥ずかしい思いをしながら書いたことが、こんなところでピンポイントに役立つとは、人生分からないもんです。


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posted by しゃちま at 12:02| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | だんな | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月05日

祝二歳と出産備忘録

イヤイヤ期の息子に手を焼き、全てにやる気をなくしていたこの1ヶ月。
子供が叫べば私も怒鳴り散らし、子供がヒスれば私も発狂し、子供が泣けば私も号泣と言う、阿鼻叫喚の日々でした。
私の悩みは大抵底が浅いので、今回もすぐに立ち直りました。
上がってみると、なんだあんな浅瀬で溺れていたのかと毎回思います。楽しい水遊びでした。ちゃぷちゃぷ。

さてそんな息子、7月1日で無事2歳になりました!!

子供の誕生日は本当に節目と言う感じがして、母親としては身が引き締まる思い。
1歳から2歳へ。正に新たなステージへ第一歩を踏み出したわけで。
誕生日会は、また来年無事に3歳の誕生日を迎えられるよう家族みんなで頑張ろう、という決起会みたいなものである。

そして子供の誕生日は、私が出産をした日でもある。
こういう風に考えるのは「産む」ということをした母親ならでなんだなぁ、と改めて思う。
2歳の誕生日、息子の寝顔を見ていて、出産した時のことを思い出した。

あの日のことはたぶんしわしわのおばあちゃんになっても忘れない。
そんな瞬間、たぶん出産以外にないんじゃなかろうか。少なくともこれまでの私の人生にはなかった。
初キスだって初Hだって初失恋だって親の離婚だって家出だって婚姻届出したときだって仕事の初大ポカだって、薄っぺらい30年なりに、その時々で様々な思いがあったけど、数年経てば全ておぼろげである。
今にして思えばただの通過点で、結局その程度の出来事だった。

でも出産は違う。あの日心と体に深く刻まれたものは、薄れていく予感がしない。たぶん。

私は陣痛が長く、6月29日の夕方から7月1日の午前5時に生まれるまで、約36時間苦しみ続けた。
よく「鼻からスイカが出てくる感じ」とか聞く。
それが陣痛の辛さを表現したものなのか、分娩の痛みを表現したものなのかは分からないけど、個人的にはどちらも当てはまらなかった。

陣痛に関しては子宮口がデモ隊と闘っている感じ。
分娩は百年分の灼熱のウンコが出てくる快感って感じだった。

陣痛の後半は、もうシモが天安門だった。
あれは痛みではなく心身の拷問なわけで、ひたすら辛いんだけど、ただ辛いんじゃない。
出せば楽になると分かっているし、もう体が勝手にいきんでしまうんだけど、それを我慢しなければならないのが一番辛い。

精神的に未熟な私は、10分に1回助産師を呼びつけては
「もう出すっつってんだよぉぉぉぉ!!何度言ったら分かんだこのボケカスタコごるぁぁぁぁ!!」
と罵ったり
「今すぐ腹切れぇぇぇぇ死ねぇぇぇぇ!!ぐおわぁぁぁぁ!!」
と獣の咆哮とともに発狂したたり
「お、お、おぅ…おねがい…ひま…すぅ…」
とボロボロ泣きすがったりしていた。

腹さえ出てなきゃ、完全にエクソシストだった。
神父が十字架を胸に、聖水かけてても違和感なかったと思う。

最終的には、あのメンタル最強のだんなが
「もう帝王切開にしてくれませんか…もう見てられません…怖いです…」
とやつれた顔で助産師に頼み込んでいた。

分娩台に上がって、いきんでいいですよと言われたときは、目の前に世界中のありとあらゆる神が舞い降りてきて、光の輪の中でマイムマイムを踊っているのが見えた気がした。

出産前に病棟見学で見た分娩台は、無機質で冷たい感じがした。
たくさんの医療器具に囲まれて産むことに、少し恐怖と抵抗を感じたりもしたけど、そんなヤワな気持ちはとっくのとうに消え去っていた。
上がるなり、大股開きで足を踏ん張り、手元のグリップをガッチリ握りしめ、
「次来たら、いっちゃっていいんすね!?」と俄然やる気に。

先生が来て、いろいろと準備をし、
「は〜い、じゃあ次でいきみましょうか」
と、私に散々呪詛の言葉を投げつけられた助産師さんが優しく言う。

あんなに精神錯乱してたのに、ここまでくると自分でも驚くくらい冷静。
母親学級で習ったいきみ方や、赤ちゃんの出方などを思い出し、その通りにやろうとしていた。
「頭見えてますよ〜」とか「破けちゃうので切りますね」とか、一言一句今でも覚えてる。

そしてものの10分で息子無事誕生
分娩だけに限って言えば、大変な安産だったと言えるのかも。

出産直後、母になった私の第一声は
「わぁ!痛くない!」
でした。

そのあとは横で唇フルフルさせてるだんなに写真撮影を指示したり、息子をカンガルーケアしながら、だんなと胎盤見たりして平和な時間を過ごした。
だんなも、母も、憔悴しきった目元で、優しく笑っていた。
生まれたての息子は、なんだか疲れたような顔をしていた。

助産師さんにはすぐに謝った。
「いいんですよ〜みんなああだから、ははは」
と言ってくれた。

そのあと分娩台の上で、約40時間ぶりの食糧であるおにぎり2個をむさぼり食った。
今までで一番美味いおにぎりだったなぁ。


と、一気に書いてしまった。
まとまりがなくてすいません。

それにしても、妊娠期間中はあんなに穏やかで慈しみに溢れた時間が流れているのに、出産ときたらあまりに激烈猛烈強烈じゃなかろうか。
母なんかは、私が逆子でなかなか出てこないもんだから、先生にお腹ぐいぐい押されたって言ってたし。
あんなに大事に大事にしてきて、最後上から押されるって、どゆこと!?って感じだ。

最後が美しくないことに、少しだけ残念な感じがしているのは、口が悪かった私だけだろうか。

次回はぜひ美しくキメたいものである。


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posted by しゃちま at 00:27| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 子育て | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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