2013年07月15日

馴れ初めの書き方

約10年前の話。

国際結婚の手続きが終わり、入国管理局に持って行くビザの申請書類を準備しているときのこと。
名前や住所はもちろん、家族構成から年収まで詳しく書き込む申請書。
その中にこんな項目があった。

結婚に至る経緯

これってつまり馴れ初めってことよね。

おいおい、飲みの席じゃないんだからそんなことマジに聞くなよ、ははは。
なんて照れてる場合ではない。

これから私は、出会って、告って、付き合って、親に結婚の報告して…という2人の愛の軌跡を、真面目な文章にしないといけないのである。

ちなみにだんなは、物事を伝えることと文章を書くことが極端に苦手なので、私が代筆した。
日本語が不得手なのではなく、どうやらそういう性格のよう。

それにしてもどこまで詳しく書けばいいのか、さじ加減が良く分からない。
たぶん偽装結婚かどうかを審査する材料にしてるんだろうから、日付と事柄の箇条書きでは真実味に欠けてダメな気がする。
ここはやはり熱い思いの丈をぶつけた方がいいんだろうか。
でも気持ちを込めて書いて、入管の人に「こいつどんだけ自分に酔ってんだよ。詳しすぎワロスwww」とかなって内部で回し読みとかされたら死にたい。

いつまでも悩んでいてもしょうがないので書き始めることに。

日付や場所などは、覚えてる範囲でなるべく具体的に。
事柄や心境などは、直接的で感情的な表現を避ける。

この二つを心がけながら、できるだけ淡々と、しかし詳しく書いていく。
結局A4用紙3分の2ほどの量に。

そして試行錯誤の結果書き上がった文章を読み返してみて思ったこと。

あぁ…キスイヤのカップル紹介VTRで流れるナレーションみたいだ…。

読めば読むほど、頭の中であのナレーションの声になっていく。
安い、安いよ…。
まぁ、でも仕方ない。大恋愛でもないし、そもそも私の文章力ではこれが限界だ。

だんなに「これでいいかな」と見せたら、明らかに流し読みってゆーかもう5秒くらいで返されて「いいと思うんなら、いいんじゃない」と言われる。

本当にテキトーである。
マレーシア人のテキトーをナメたらいけないんである。
もう一度言う。
本当にテキトーである。

貴様の書類だよ?って思ったけど、どうせ言っても読まなそうなので、そのままファイルにしまった。

で、私の懸命の努力の賜か、めでたく「日本人の配偶者」ビザが下りた。
ま、よっぽどじゃなきゃ普通は下りる訳で、今思えばあんなに緊張する必要はなかった。
やっぱり私は慎重で真面目な日本人である。

この数年後、私は在日中国大使館領事部に現地職員として雇用され、約3年間勤務することになるのだが、その間数えきれないほどの「馴れ初め」を読むことになる。
自分で申請書を書いた当時は、こんな仕事に就くとは思いもしなかったが、ただ一つ気付いたことは、私の書き方は正しかったということ。
きっと入管の人も、良く書けていると思ってくれていたに違いない←

そしてその経験を活かして、「馴れ初め」の書き方に悩む中国人に、的確なアドバイスをすることができた。
まさかあんな恥ずかしい思いをしながら書いたことが、こんなところでピンポイントに役立つとは、人生分からないもんです。


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2013年07月05日

祝二歳と出産備忘録

イヤイヤ期の息子に手を焼き、全てにやる気をなくしていたこの1ヶ月。
子供が叫べば私も怒鳴り散らし、子供がヒスれば私も発狂し、子供が泣けば私も号泣と言う、阿鼻叫喚の日々でした。
私の悩みは大抵底が浅いので、今回もすぐに立ち直りました。
上がってみると、なんだあんな浅瀬で溺れていたのかと毎回思います。楽しい水遊びでした。ちゃぷちゃぷ。

さてそんな息子、7月1日で無事2歳になりました!!

子供の誕生日は本当に節目と言う感じがして、母親としては身が引き締まる思い。
1歳から2歳へ。正に新たなステージへ第一歩を踏み出したわけで。
誕生日会は、また来年無事に3歳の誕生日を迎えられるよう家族みんなで頑張ろう、という決起会みたいなものである。

そして子供の誕生日は、私が出産をした日でもある。
こういう風に考えるのは「産む」ということをした母親ならでなんだなぁ、と改めて思う。
2歳の誕生日、息子の寝顔を見ていて、出産した時のことを思い出した。

あの日のことはたぶんしわしわのおばあちゃんになっても忘れない。
そんな瞬間、たぶん出産以外にないんじゃなかろうか。少なくともこれまでの私の人生にはなかった。
初キスだって初Hだって初失恋だって親の離婚だって家出だって婚姻届出したときだって仕事の初大ポカだって、薄っぺらい30年なりに、その時々で様々な思いがあったけど、数年経てば全ておぼろげである。
今にして思えばただの通過点で、結局その程度の出来事だった。

でも出産は違う。あの日心と体に深く刻まれたものは、薄れていく予感がしない。たぶん。

私は陣痛が長く、6月29日の夕方から7月1日の午前5時に生まれるまで、約36時間苦しみ続けた。
よく「鼻からスイカが出てくる感じ」とか聞く。
それが陣痛の辛さを表現したものなのか、分娩の痛みを表現したものなのかは分からないけど、個人的にはどちらも当てはまらなかった。

陣痛に関しては子宮口がデモ隊と闘っている感じ。
分娩は百年分の灼熱のウンコが出てくる快感って感じだった。

陣痛の後半は、もうシモが天安門だった。
あれは痛みではなく心身の拷問なわけで、ひたすら辛いんだけど、ただ辛いんじゃない。
出せば楽になると分かっているし、もう体が勝手にいきんでしまうんだけど、それを我慢しなければならないのが一番辛い。

精神的に未熟な私は、10分に1回助産師を呼びつけては
「もう出すっつってんだよぉぉぉぉ!!何度言ったら分かんだこのボケカスタコごるぁぁぁぁ!!」
と罵ったり
「今すぐ腹切れぇぇぇぇ死ねぇぇぇぇ!!ぐおわぁぁぁぁ!!」
と獣の咆哮とともに発狂したたり
「お、お、おぅ…おねがい…ひま…すぅ…」
とボロボロ泣きすがったりしていた。

腹さえ出てなきゃ、完全にエクソシストだった。
神父が十字架を胸に、聖水かけてても違和感なかったと思う。

最終的には、あのメンタル最強のだんなが
「もう帝王切開にしてくれませんか…もう見てられません…怖いです…」
とやつれた顔で助産師に頼み込んでいた。

分娩台に上がって、いきんでいいですよと言われたときは、目の前に世界中のありとあらゆる神が舞い降りてきて、光の輪の中でマイムマイムを踊っているのが見えた気がした。

出産前に病棟見学で見た分娩台は、無機質で冷たい感じがした。
たくさんの医療器具に囲まれて産むことに、少し恐怖と抵抗を感じたりもしたけど、そんなヤワな気持ちはとっくのとうに消え去っていた。
上がるなり、大股開きで足を踏ん張り、手元のグリップをガッチリ握りしめ、
「次来たら、いっちゃっていいんすね!?」と俄然やる気に。

先生が来て、いろいろと準備をし、
「は〜い、じゃあ次でいきみましょうか」
と、私に散々呪詛の言葉を投げつけられた助産師さんが優しく言う。

あんなに精神錯乱してたのに、ここまでくると自分でも驚くくらい冷静。
母親学級で習ったいきみ方や、赤ちゃんの出方などを思い出し、その通りにやろうとしていた。
「頭見えてますよ〜」とか「破けちゃうので切りますね」とか、一言一句今でも覚えてる。

そしてものの10分で息子無事誕生
分娩だけに限って言えば、大変な安産だったと言えるのかも。

出産直後、母になった私の第一声は
「わぁ!痛くない!」
でした。

そのあとは横で唇フルフルさせてるだんなに写真撮影を指示したり、息子をカンガルーケアしながら、だんなと胎盤見たりして平和な時間を過ごした。
だんなも、母も、憔悴しきった目元で、優しく笑っていた。
生まれたての息子は、なんだか疲れたような顔をしていた。

助産師さんにはすぐに謝った。
「いいんですよ〜みんなああだから、ははは」
と言ってくれた。

そのあと分娩台の上で、約40時間ぶりの食糧であるおにぎり2個をむさぼり食った。
今までで一番美味いおにぎりだったなぁ。


と、一気に書いてしまった。
まとまりがなくてすいません。

それにしても、妊娠期間中はあんなに穏やかで慈しみに溢れた時間が流れているのに、出産ときたらあまりに激烈猛烈強烈じゃなかろうか。
母なんかは、私が逆子でなかなか出てこないもんだから、先生にお腹ぐいぐい押されたって言ってたし。
あんなに大事に大事にしてきて、最後上から押されるって、どゆこと!?って感じだ。

最後が美しくないことに、少しだけ残念な感じがしているのは、口が悪かった私だけだろうか。

次回はぜひ美しくキメたいものである。


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posted by しゃちま at 00:27| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 子育て | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月04日

番菜事件

だんなと同じレストランでバイトしていた頃のこと。

この店は母体が警備会社だったのだが、その社長の娘が時々店を手伝いに来てた。
まぁ、手伝いと言うか、顔出しと言うか、口出しと言うか。

彼女はムツ子(仮名)、確か当時16歳くらい。
目指すところがあり、高校を中退。
10代半ばにはとても見えない老け顔大人びたルックス。
体も大きく立派で、バブル風な化粧もバッチリだ。
クソ生意気な誰に対しても物怖じしない態度は、さすが社長の娘と言った感じ。

ムツ子さんは毎回“社長の娘風”をびゅんびゅん吹かせて、喝を入れるつもりで張り切って来ていたようだった。
しかし、いかんせんまだ16歳。
完全に空回っていた。

それでなくても、相手は産まれた時から割かし過酷な環境で生きてきた東南アジア人。
虎の威を借っただけのしょんべん臭い小娘の言うことなんか、聞くわけないのである。
そもそも仕事より自分を100%大事にしてる人間を、権威で御そうなんて思うほうが間違い。

で、必然的に毎回抱腹絶倒な光景が繰り広げられることに。

ある日も怖い顔で乗り込んできたムツ子さん。
制服に着替えると、店のみんなに「夜露死苦!」と三原じゅん子の如きカッコゆすなあいさつをキメる。
私を含め、みんな鼻白んでいるのだが、そんな空気を意に介す彼女ではない。
そのままの流れでキッチンへ喝入れ。

「お客さんが入ってきたら、キッチンからもいらしゃいませって言って」

この一言が、マレーシア人たちの反骨テキトー精神に火を点けた。

客が入って来る。
その瞬間、ムツ子さんの「いらっしゃいませ」に被せるかのように、キッチンから響く、ふざけたイントネーションの「イラッシャイマセ〜!!!」の大合唱。
ある者は声を裏返し、またある者は不必要に語尾を伸ばし、みんな思い思いのいらっしゃいませをお客様にぶつける。
しかしそんな元気な声のしたキッチンを見てみると、みんな目が完全に座っている。

ムツ子さんもそれに気付いたようだが、さすがにずらりと並んだ8つの死んだ瞳が怖かったのか、直接は言えなかったようで、私にチクチク言ってくる。
めんどくさいので、のらりくらりかわす。

ム「なにあれ、ふざけてんの?」
私「え?一生懸命やってるつもりだと思いますよー」
ム「いつもああなわけ?」
私「ええ、いつも元気ですよー」

もちろんいつもは、キッチンからいらっしゃいませなんて言ってない。
てゆーか体育会系のチェーン居酒屋じゃあるまいし、言ったら客が引くのは分かりそうなもんである。

腑に落ちない様子のムツ子さん、今度はオーダーを取りに。

ムツ子さんは字を書くのが遅い。しかもハッキリ言って下手だ。
しかしそれをフォローするかのように、一生懸命、丁寧に書き込んでいく。
なかなか健気である。
お客さんも、そんな彼女の様子を見て取って、一つ書き終わるのを待ってから次の注文を言ってあげている。

が、そんなお客さんの気遣いに、焦りを覚えるような彼女ではない。
正に一文字入魂と言った感じの、ゆったりとしたスピードでオーダーを取り終えると、颯爽とデシャップ(キッチンとホールをつなぐ窓口)へとやって来た。

「生春巻き、揚げ春巻き、パパイヤサラダ、鶏肉のフォー、それから香菜を小皿で出して」

オーダー表の上紙を、ぎこちない手つきで切り取りながら、S気溢れる口調で注文を伝える。
そして切り取ったオーダー表を、デシャップカウンターにパシーッと叩きつけると、自分は飲み物を用意するためさっさと立ち去る。

キマッたぜって感じがプンプンした。

オーダー取っただけなのに、何がそんなに誇らしいのかは不明だが、それはもういい。
問題は彼女の書いたオーダー表だった。

マレーシア人たちが、カウンターに置かれたままのそれを交互に覗きこんでは、実に楽しそうにクスクス笑ったり「ラヲエ〜(マジウケるの意味。マレーシア華人のスラング。何語か不明)」と言い合ったりしている。
そして口々に謎の単語「ファンツァイ」を連呼。

客足が引いてきたころ、ムツ子さんが小休憩を取っていいと言ってくださったので、遠慮なく一服することに。
喫煙スペースが、キッチンの中の小部屋だったので、いつものようにキッチンへ。
するとだんなの兄が、いたずらそうな笑みを浮かべながら「ちょっとこれ見て」と声をかけてきた。
見ると、冷蔵庫にさきほどのオーダー表の一部が切り取られて、水で貼り付けられている。
何だろうと思い、よく見てみると、そこにはこう書かれていた。

番菜

一瞬何のことか分からなかった。
見間違いじゃなかろうか。そう、何度も思った。
しかしそこには間違いなく、「番菜」と書かれていたのだ。
香菜じゃなくて。

あ、ムツ子さん、漢字間違えちゃったのね。

これですべての謎が溶けた。
さきほど彼らが言っていた謎の単語「ファンツァイ」は「番菜」を中国語読みしたものだったのだ。
道理で聞き慣れない単語だと思ったら、存在しない単語だった。

一人納得して頷いている私に、みんな代わる代わる話しかける。

「これなに」
「どこにあんだよ、番菜」
「ちょっとムツ子さんに聞いて来て、これなにって」
「すいません、うちの店、この野菜はありませーん」

言っては笑い、笑っては言い、ゲラゲラゲラゲラ楽しそうである。

私もあまりのおかしさに、タバコ咥えながらゲホゲホしてしまった。
ここで笑えたことで、ムツ子に対するイライラも吹き飛んだ気がした。

その後もムツ子さんは、何度もオーダーを間違えたり、混んできてテンパりながら業務をこなしたりしていた。そして蛍の光が流れる頃、いつも通りみんなとまかないを食べることなく1人帰って行った。

めんどくせー1日が終わったので、私はほっとしていたのだが、マレーシア人たちはもう彼女のことなんか頭にない様子。
目の前の皿に盛られたまかないに、むしゃむしゃかぶり付いて、心からの笑顔でバカな話をしている。

いいなぁ、彼らのこの感じ。

フライドチキンにかぶりつきながら、思わず彼らを羨望の眼差しで見てしまった。

彼らは基本的に、偉そうにしている人が嫌いである。
そして権威や体制にあまり媚びない。
表面はニコニコしてても、裏で舌を出してるってことが多い。
その20代と思えない図太い神経は、なかなかアッパレである。

ムツ子さんは権威を笠に着た人間のプロトタイプでゲロ苦手だったけど、彼女とマレーシア人たちとの攻防を見て、ああいう人にはこう接すればいいんだなぁと勉強になった側面もあったので、ある意味いい出会いだったと思っている。

あれから10年近く経つ。
夢を追っていた彼女の名を、テレビで聞く日を楽しみに待っているが、まだその日は訪れない。
元気にしているだろうか。
漢字は書けるようになっただろうか。

彼女に幸あれ。


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posted by しゃちま at 00:04| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | だんな | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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